[04] 破壊の系譜 きかいのき_翼のある乗り物、二点
翼のある乗り物、二点 04 破壊の系譜
さて、航空機が誕生したのをライト兄弟の飛行とすれば、その誕生1903年からから100余年がたちます。
当時の構造材料はほとんどが木材で、その後、徐々に金属材料に置き換えられるようになりました。木材は比強度も大きく、柔構造材で粘りもあり、ある程度の剛性があれば強度は十分満たしていたのかもしれません。
一方、金属は、木材に比べて耐久性も良く、構造効率が向上しました。また、設計技術の向上とともに、軽量な機体を究極に洗練していきました。
その過程で、機械設計のエポックメイキングとなる事象がいくつかありました。もちろん、それらはあまりよい事象でないことがほとんどです。
以下では代表的事象を3件紹介します。このような経験を乗り越えて、機械系技術者は進歩しています。
デ ハビラント DH-106 コメットの空中爆発 疲労〜fatigue
後退翼を採用した世界初のジェット旅客機としての英国製コメット mk.I の1952年就航は画期的でした。主翼根に4発のジェットエンジンを組み込んだスタイルは現代では個性的で ある意味近未来的形状です。運用していた当時の英国先進の航空会社 英国BOAC社もインド、アフリカなど英国由縁の世界中へと進出していました。その先進機体の連続墜落事故は大きな事件で、日本でも、当時のネットもなく 国際ニュースも入手しにくい時代において、子供の遊びにまで「空中爆発(空中分解)」という言葉が普及するなど、今でならトップクラスの流行語、社会現象となりました。
1953年( BOAC 783便)から1954年( BOAC 781便, SAA 201便)に発生した複数の事故後、781便事故に対する英国の威信をかけた大規模な残骸回収と調査結果によって、自動方向探知器ウインドウと呼ばれる2つのカットアウトのコーナーから、与圧の繰り返し荷重(引っ張りと曲げ)による連結疲労破壊が発生していたことが確認されました。そのパーツを並べた写真はネットでも見ることができます。
ちなみに、window と呼ばれていますが、日本語でいうガラス「窓」ではなく、機器取付をするための角丸四角穴のことをwindow(窓)と呼んでいます。誤解ないようにここではカットアウトと表記してみました。
この機体の設計においては、客室与圧を行いながらプロペラ機よりより高空を飛行することもあり、静荷重設計は当然、繰り返し荷重についても安全率方式で2.0 ( >1.5×1.3 ) の安全率で応力計算をしていたそうです。事故後の調査や胴体部分のみをすっぽり覆った世界初の全胴水槽耐圧試験などから、カットアウト枠コーナークラックの発生が確認されました。疲労破壊というものは、亀裂破面を観察すると、最初細かく、徐々に応力集中のために長く、ストライエーションと呼ばれる縞模様が確認できるのが決め手で、その後、許容荷重を超えて一気に破断した綺麗な破面が続きます。
この機体と2あるいは3件の事故と英国の調査によって、コメットは改修されましたが、もはや前歴のある機体は民間では売れず、再起をかけたmk.4 もBoeing 707, DC-8, GD Convair 880 に市場を奪われ、やがて英国老舗デ ハビラントは消滅し、トップ航空会社だったBOACも一時影響を受けたようです。
この事故で、応力集中、塑性変形硬化、疲労試験荷重負荷方法、全機疲労試験、そしてフェールセーフの設計概念、点検方法などに対する多くの知見や観点が誕生し疲労に関する機械工学と設計技術は格段に進歩しました。
ジェネラルダイナミックス F-111のピボット折損 左翼脱落
F-105 サンダーチーフの後継機として、経費節減のための海軍空軍共用機体として開発が始まったF-111は、その広範な要求仕様を解決するために、可変翼機を採用しました。統合、共通化によるコスト削減。それはいつの時代も政治家が憧れるマジックワードです(成否の分かれ目については機会があれば、、、)。結局、無理がたたって艦載機としては(当時経験のない海軍の)“過重な”要求重量を大幅に超過し不採用となったものの、機械工学的には初の可変翼、アフターバーナー、地形追従システム搭載空軍機として誕生しました。海軍では、結局、のちのF-14トムキャットの礎とされF-111も実は問題がなかったことが示されています。可変翼は実用上、維持コストがかさむため(なのか戦略の変化のため)か現代では新規開発はほぼなくなったようですが、一部 Sci-Fic をはじめとして今なお人気のようです。
1969年、ネリス空軍基地所属49号機(67-049)が低空進入爆撃訓練の引き起こし運動中に、可変翼トルクボックスの翼ピボットフィッテイング破壊による主翼脱落事故が発生。当該部品は、その重要性を鑑みて、高張力鋼を超える超強度鋼K6AC鋼を使用していました。非常に強度のある材料は、それが故に製造時の残留応力も大きく、製造直後は検査不能でも製造時イニシャルクラックや遅れ割れが生じ、重大な疲労破壊を生じやすい材料だったのです。比強度が高いだけに、欠陥があると強度低下への影響割合も大きくなります。事故後の調査の結果、クラックは、7.26mm厚K6AC鋼のフィッティングにおいて、製造工程後に最大80%近い 5.72mm 深さの初期割れがあり、それを起因とすして短期間(飛行時間104.6時間)でクリティカルレングス域となる深さ 6.16mm、長さ 23.6mm に成長していたことが判明しました。
その後、改修された F-111 は基本設計の良さからさまざまな発展型が製造され、維持コスト(あるいは戦略変化)を理由として退役するまで幅広く使用されました。
F-111の不具合によって、非破壊検査(NDI)やその検査可能性(detectability)を考慮した初期傷をスタートとする亀裂進展計算を採用した損傷許容設計が誕生しました。後日のASIPの基本にもなりました。
アロハ航空243便事故の天井破壊 — ボーイング737-200
設計予想外の短距離飛行による多所同時発生する割れ(マルチサイトクラック)による構造破壊の事例です。
Boeing 737 は、当時の地方路線用に開発された小型ジェット旅客機ですが、大型機のボディを設計上、流用した結果、ワイドボディの超小型ジェットとしてデビューしました。当時は、同じく Boeing社の世界最大級の巨大機 747 にもなぞらえて、ミニジャンボとも呼ばれていました。
1988年、ハワイ島ヒロ空港からオアフホノルル空港に向かって上昇したboeing 737-200機が、突然、客室前部機体上半部を喪失しました。急激な減圧と、大きな機体部品脱落のため片エンジンが停止したものの、油圧操縦系は無事で、常識的には強度メンバーの半分を失った状態ではいつ胴体が折損してもおかしくなかったにもかかわらず、機体前部が維持できていました。チーフパーサー1名が犠牲となりましたが、結果的には隣接するマウイ島のカフルイ空港への着陸に成功しました。
調査の結果、きっかけ、あるいは甚大化の過程は別として(クリティカル破壊荷重の発生原因が与圧のみではなく水撃的現象という説もある)、短距離多便運行のために、設計の予想を超えた飛行回数と、基本的な亀裂検査において損傷を見逃したことにより、多数のクラックによる全体的な強度低下を起こした状態で、一部の破壊が一気に機体破壊に至ったとされました。当該便搭乗乗客が機体表面のクラックに気づいていたという話もありますので、最近は全天候型ブリッジ導入で見にくくなりましたが、航空機のご利用の際には、カットアウトのコーナーの視認や補強ダブラーの手入れができているかチェックしてから乗機を判断しましょう。
この事故により、単体の亀裂による損傷だけではなく、老朽化による多発的クラックによる破壊や、適切な検査、整備の重要性が認識されました。機械はやっぱりメンテナンスで保つ、です。
余談ながら、我が国で発生した世界的重大事故で、以上の経緯とはやや異なる事例にも触れてみます。
JAL-123の圧力隔壁破裂 修理時の不適切修理 — ボーイング747SR
この1985年の夏の事故は、あまりにも非劇的だったので、陰謀説まで飛び交うほど有名な事故です。個人的にも、当日は東松山に滞在していたので特に印象深かったです。
Boeing 747 は現在では引退しつつありますが、当時はジェット旅客機による移動がどんどん広まりつつある時代で、この超大型機は世界中にシェアを伸ばしていました。この事故の機には、お盆の帰省等で様々な人たちが搭乗していました。世界的に有名な日本曲「sukiyaki」の歌手、坂本九さん、この年21年ぶりの優勝をすることとなった阪神ターガースの球団社長、中埜肇さん、ほか、社長、重役、芸能人、スポーツマンなどが搭乗していました。
この機体 B-747SR46 は、本事故の7年前に大阪空港で不良着陸による胴体尾部の滑走路面接触事故を起こしましたが、その際のメーカー技術者による修理ミスにより、下半分の圧力隔壁交換作業時に、その一部がマルチパス荷重分散から外れ、残ったファスナー周りに応力が流れた結果、ある時期から急激に疲労亀裂が進展しました。事故の半年前から、周辺内装に不具合が発生していましたが、異常を認知、認識されずに事故に至りました。
通常なら、荷重経路確保ミスによる亀裂進展とその点検もれとなるところでしたが、修理部分がシール材で覆われ、検査不能状態であったため、これも事故防止の障害となったようです。
当該圧力隔壁破壊による噴出空気圧により、航空機設計想定外荷重による垂直尾翼および油圧操縦系統の喪失が生じ、操縦不能による山間部への激突が発生しました。
直接原因になる修理ミスは、隔壁補強のパッチ材が、3列のファスナーにかかりそれぞれ2列のファスナーを荷重経路とすべきところ、パッチ材が分割されていたため、片側で荷重が全て1列のファスナーに集中、単純計算で二倍の応力が発生しました。この部分で亀裂が生じれば、規定の修理構造の周辺にも計算外の応力が流れ、どこかのタイミングで一気に破壊が生じます。その際の与圧による風圧で、ノーマル方向荷重には設計上耐性のない構造の垂直尾翼や胴体尾部が吹き飛んだようです。
左右対称の修理にもかかわらず、しかも隣接両側部も同じ構造であるべきなのに、なぜ、当該部分だけ異なる部材を使用しても気にならなかったのかは、現場作業者の機械工学的感性に大きな疑問が残ります。他と異なる形状の修理用パッチ部材は一体誰が用意していたのでしょうか(そこまで調べていません ^^;)。
修理作業担当技術者が基本的な機械的センスを持っていれば、起こりえないはずのミスですが、現代を見れば、ま、人材不足のなせる技なのかもしれないと理解してしまいます ^^; 最近は広く認知されてきたサイレントチェンジも、(大手最上流クライアントには絶滅しつつある)”設計者”の意図を知らずに独断で判断行動する、という意味で同質の問題ですね。
さて、このくどい記事を最後まで読み終えた学生さんなら、こんな技術者にならない可能性は少し高いかもしれません。でも、あなたが将来就職した会社では、平気でこんな作業をする人が結構な割合で活動しているかもしれません。本機械工学課程でも、身近な同期と話をしてみたり観察してみたりして、どれくらい機械工学的に信用できる人がいるか、ちょっと調べて見るのもいいかもしれませんね。
なお、ここでは「翼のある機械」がテーマですので取り扱いませんが、これ以外にも機械工学的に重要な事例はいくつかあるので各自で調べてみてください。
タコマ海峡橋自励振動による崩落(1940)
海峡風によるカルマン渦列非定常流体力による自励振動と構造剛性
米国リバティ級海軍貨物船折損沈没事故(1940年代)および第四艦隊事件(1935)
本格ブロック工法、溶接船の船体折損沈没事故と低温脆性破壊、溶接欠陥、応力集中などの知見、および電気溶接技術の発展。破壊特性(靱性)のスケール効果。台風気象技術の発展。
高速増殖炉もんじゅ温度計さや疲労破壊によるナトリウム漏れ(1995)
カルマンから双対渦による非定常流体力ロックイン現象による疲労コーナークラック
台鉄列車速度超過脱線事故(2018)ほか鉄道事業会社の海外での失策
異文化地域販売に対する機械工学(システムインテグレーター)マネージャーの必要性
などなど