機械工学
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観察せよ
機械系エンジニアに限らず、科学を利用する場合、たとえそれが一般生活であれ、観察が重要です。つまり、機械系技術者には観察する気持ちが不可欠です。
一般生活で、例えを探してみましょう。
世間では、最近は食料廃棄の問題があります。もちろんその大部分は商用分野にありますが、家庭内では食品廃棄はどう扱われているでしょうか。昭和の時代には、賞味期限や消費期限など、ほとんど存在していませんでした。それは、食品はほぼ原材料で販売され、豆腐等の加工品も生で販売されていました。また、冷蔵所も普及しておらず、一般家庭では、「お膳の上にハエよけの網を被せて」食品を「保管」していました。しかし、大多数の日本人は、自らの判断でほぼ適切に食品の安全を判断していました。もちろん、今に比べれば初期中毒、特に軽い初期中毒は桁違いに多かったかもしれませんが、それは結構、チャレンジした意識を持ってる場合が多かったかもしれません。
豆腐や味噌汁、鍋物、煮物などの安全を、当時の日本人は一体どうやって知ったのでしょうか。
これと同様に、動いている機械、長らく放置していた部品、など、その作動状態や部品の良否は、いったいどうやって判断するのでしょうか。多分、最近の学校ではほとんど教育せずに、全ては数学で解決できると誇らしげに謳っているかもしれません。あるいは、きちんと教育を受けているのに、学ぶ立場の人たちが猫よりも早く忘却しているのかもしれません。いえいえ、猫の方がよっぽどしっかり覚えてるかもしれません。
例えば、ペットボトルに入ったお茶や水。賞味期限が過ぎていたら、無条件に破棄するのでしょうか。
スーパーのベイカリーの菓子パン。1日経ったら、やはり無条件に破棄するのでしょうか。
もちろん、安全性の観点からはその方が無難です。しかし、エンジニアリングが安易に無難に走れば、製造された機械は多分機能しません。
設計というものは、必要な、強度、機能、性能、などに加え、操作性から形状的安全性、かっこよさのデザイン、重量、などなどを、必要十分の状態に落とし込む作業です。できればそれは、ここに検討するのではなく、あるものは、ある作業中に木を先回しして完成度を高めるものです。いちいち個別に対応していてはコストが持ちません。
そのためのは、常に幅広く観察することが重要、ということです。
観察は、従前ならそれほど難しくなかったでしょうが、上述のように、製造者の配慮が行き届いたおかげで、ユーザーはどんどん無知になっているので、10数年間、あるいはそれ以上にエンドユーザー生活を続けてきた人には、観察という概念すら、普段の生活からは抜け落ちていることが多いようです。
認知できないものは認識できない。
人によって世の中やいろんなものは異なって見えているものです。
みたこともない、聞いたこともない、常識はずれだ、
とよくいう人は、
その人自身の常識が狭いことを主張しています。
スーパーの食品売り場で、賞味期限に拘っていることは、単純なルーチンワークで、まったく何も創造しないことは理解できるのではないでしょうか。全く適切な知識がないからこそ、1日でも1時間でも新しい方が安心、なんていう人も存在しているのかもしれません。
日々の生活でも、観察が適切にされていれば、その上に知識が合わさることで、科学的な生活が始まりそうです。科学に基づいた教育を世界トップクラスで実施しているのだから、すべての日本人は世界トップクラスの優秀さのはずです。上述のルーチンワークはきっと、科学的合理性に立ったものなのでしょう。
そういったシンプルなルーチンワークをした人が、自分が新しいものを創造したと思って作り上げた製品が、どれほどの完成度になるのか、あるいは、完成度を高めるまでにいかほどの歳月を要するるのかは、メーカーの管理職なら十二分に経験済みのことでしょう。
海外の製品の完成度の高さは、日本の日々の生活態度の影響によるのかもしれません。
観察。
ちょっと観察を楽しんでみてはいかがでしょうか。
、、、漫然と観察しても、無意味、です、けど。
Vague observation is futile.