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成績評価

さて、コロナが蔓延し、状況が悪化すると、人の本性が表れやすくなるようです。世間では、経営悪化に伴って、追い込まれたごく一部の経営者によって、パワーハラスメントがきつくなっているようです。このような事象は、もともとそういう体質があってのことなので、新たに発生した、というよりは、本来そう言うものが存在していた、という意味で顕在化しているという表現が正しそうです。いわゆる、ドメスティックバイオ連sと同様、敵に対して向けられていた暴力が、対象が変更されるのと似て、本質は本来そこにあったということです。

本学では、教育の質の向上の活動が専門の担当組織を置いて行われているようですが、なかなかその情報が効率的な方法によって周知されることはないようです。したがって、不勉強な本研究室には、そんな情報は届いていません。

そういう背景の下で、今年はコロナウィルスパンデミックの状況て、遠隔授業が行われています。必ずしもというわけではありませんが、学習内容ではなく、提出物の形式、手続きに関する質問ばかりする人、自分はわかっていないと前置きしてへりくだったメールを送ってくる人もかなりの割合で存在します。

そういう人を見ていると、これまでどういう環境で育ってきたんだろうと気になるときもありますが、それはそれで、個人情報や個人の信念に係る事項になるのでとりあえずは深入りはしません。

一方、高等教育機関にお入学しているにもかかわらず、何をしていいのか全く分からないという学生さんもいます。そういう問題に対処するには、その人がどういう閑居でどんな勉強方法を身に着けてきたのかを調査できれば、解決できるという保証はないにしても、効率的に、原因と適性に関することや、今後の考え方の指針を示すことはできます。

しかし、このような対応については、上部及び偉い先生方は杓子定規では大変ネガティブで防衛的です。

本研究室でも、研究室学生さんは合意の上で対応をとるにしても、教育担当ではない学生さんまで対応するのは、当然とはいえ、基本的にはご遠慮願うことにしています。

というわけで、
遠隔授業での対応、成績評価は、シラバスの説明にある通りです。

まさか今頃、
これからは頑張るので単位をください、
で単位を出す授業担当者もいないでしょう。
試験やレポート後の、最期にに「これから」というのは、
必然的に再履修のことです。

そもそも、
成績評価にお願いや感情は割り込む隙はありません。
もしいまだにそれを受け入れる授業担当者がいれば、
それはただのパワハラです。

研究だって、いずれ、「やりがい搾取」であることが一般化することでしょう。下働きを学生だけが担っていることは、当然と主張する指導者が大多数でしょうが、学生さんは、一度自分で考えてみるといいでしょう。

でも実際は、単位がもらえるのなら、卒業ができるのなら、それぐらいは我慢します、という学生さんが大多数です。自分で何をどう効率的に習得するのかはあまり考えてはいない人も結構多いようです。Give and take がバランスしているということです。

本来、授業の方針に異議があるなら、
当初のシラバスに記載の事項を熟読の上、受講申請前の段階で主張するか選択判断してください。本研究室の担当授業部分では、冒頭にアンケートもとっています。

さらに、それらを実行するための時間についても十分に確保しています。「これから」はなくて、それなのにできていなかった、ということが明白になるように、授業と課題、評価方法が設計されています。

3年生、4年生に配当される科目しかない本研究室担当授業では、
受講時点で、過去二年以上の学習の成果として問題解決能力のある程度の下地ができていないとおかしい状況にあると思います。
少なくとも、先行学校で、ロジカルな文章を読解したり記述できるスキルくらいは身についているはずです。

泣きのメールを送られても、1000回謝罪されても無意味です。
一回の謝罪の文を書いてメールするくらいなら、
秀逸の一文をレポートに記載してください。

2020年、自ら勉強するように非同期教材は設計されています。
自分で思考しないのであれば、それは勉強をしていないということになります。
ただ、わからない、は質問でないことは説明しています。
質問の必要条件や考え方の指針も説明しています。

勉強するために頭を使うということを前提に、少なくとも、せめて記載の事項に沿って実践してください。
それでもわからないのならば、
せめて手順、指示に沿って何をどこまで行動したのかの説明を添えて、
それらをきちんと伝わる文章にして、
質問してください。

高等教育機関で、
大学院は当然のこと、少なくとも本学域では、
自ら問題解決ができるようになることが達成目標の一つです。

基本的な指示に従わないのは、言語道断、いえ、野放図というのでしょうか。