機械工学

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2019 東京モーターショーは 成功したのか

2019 東京モーターショーは成功したのか

機械系としては、日本における機械関連産業のトップクラス、基幹産業と位置付けられているので、自動車製造業の動向は気になります。そこで、ネガティブながらも応援的に、今回は東京モーターショーです。
今年の東京モーターショーは、いつもと少し雰囲気が違いました。別に見にいったわけでもありませんが、それでもなお、雰囲気が伝わってくるほど、違いが感じられました。
# それは尋常ではない危機感です。華であるコンパニオン数の減少もかなり目立つそうです。
何よりも、日本自動車工業会の筆頭である、トヨタ社長のマスコミ登場が目立ちました。自らCM登場し、来場を呼びかけ続けました。
バブル期、日本の自動車製造業が新しい車種を次々と開発、発表し、低燃費エンジンの開発で、世界をリードしていたという印象を与え続けていた頃、東京モーターショーは世界三大モーターショーと言われ、その参加者もピーク時200万人を超えたそうです。
# 大きなモーターショーとしてはフランクフルト、パリ、デトロイト、ジュネーブが有名です。今では、上海、北京、広州などの中国でのショーの規模が大きいようです。
ここまで集客数が低下すると、わざわざ海外から参加するメーカーもその意義を感じないのか、海外メーカーはメルセデスとBMB、VW、スマートの親日的なドイツ勢、日産に関係するフランス勢、その他人気があり生産性の高いスェーデンのボルボ、です。北米はもちろん古典的観点では花形ヨーロッパスポーツカーが皆無の大変地に足のついた庶民的なモーターショーとなったようです。
# 結局、国家に信用があったとしても、消費税云々よりも、皆国民清貧政策を推進していては、いち早く経済縮小を察知する世界経済の実体である世界企業に、まずは見放される、ということのようです。
その証拠に、今回の目玉のひとつは、キッザニアです。
最近は少子化の中、我が子の将来に不安を持つ両親が多いそうです。その心理をついてか、家族連れを巻き込んで、子供の将来への好奇心を育もうという目的達成のイベント、なのでしょうか。当然参加者の頭数も増加します。
でも、目標にした数値を達成することは確かに確実な成果ですが、その数値目標を評価のトップに値させることが適正かどうかは大きな疑問があります。
日本の社会の、例えばガラパゴス化に象徴されるような混迷の原因が、そこにあるとは考えられないのでしょうか。
高等教育機関も同じ論理です。
例えば、本来の目的のため、と称し、入試の定員倍率を数値目標にして仕舞えば、本来評価しなければならない質の評価が無評価になります。数値目標を定めて安心する傾向の人には、本質が無評価になっているという認知はありません。アドミッションポリシーと実施する入試科目の間のロジックジャンプを指摘することはタブーです。政府の決めた試験制度に乗っかり、素点を間違った平等で配点するだけで精度よく評価できていると考え、責任を感じないことも然りです。その結果、目標を更新し続けているのに、どんどん状況は悪化していきます。状況は悪化していっていることに薄々気付いているのに、数値目標達成維持更新を目指し続けます。おかしいという話をすれば、その数値目標以外手はない、文科省の指示だからどうしようもない、と一蹴されます。大元の文科省も似たようなものです。もう、カイセランス ニュイ クレダ シンドローム(KNKS)、裸の王様の集団です。だれも止められません。
# あ、今回は萩生田大臣のご活躍でとりあえず一つ、急に止まりましたね。迂闊なことは言えない?^^;
たぶんモーターショー会場では入場者にアンケートをとっていることでしょう。実際、毎年の結果は公開されています。そうして、閉幕後には分析しカイゼンをするのでしょう。その報告も、カイセランスであるショー開催幹部に報告されるのでしょう。そして今回は大変好結果と受け止められるのでしょう。結果が良くても悪くても、心地よい項目です。でも、状況は好転しません。好転しない原因がわかりません。そういうアンケートになっていない、ということはありませんか?
こと、自動車に関しては、かつて本研究室周辺でインタビューしたことがあります。自動車製造業を担うべき機械系技術者を目指すべき人材であろう対象者に。日常会話に交えたので、就職面接のようなトレードオフのない状況なので、就職面接時の質疑よりは幾分、正確だとは思います。
そのとき気になったのは、自動車は遊ぶものでもなければ楽しむものでもない。単に移動手段である。つまり、自動車を運転して楽しい、だとか、わくわくする、なんてとんでもない、という考えです。「fun to drive」も「zoom, zoom」なども、もってのほか、という考えです。自動車は、人命を奪うような機械なのに、それで楽しむなんていうことはおかしい。運転している時は、至極真面目に、運転に集中して、真剣に粛々と運転すべきだ。スポーツカーなんていうものはサーキットのみで楽しむものだ、と。もっともな意見です。大変真面目な日本人らしい意見です。誰も異議を唱えられない心境になります。日本の交通規則制定と違反取り締まりを担当する公安機関と同じ意見です。日本の体制と同一思想です。まさしくKNKSです。
そういう人たちは、2019 年の今においても、ひょっとしたら多くはないかもしれません。でも、自動車を「転がす」という表現を理解する人は、きっともっと少ないように思います。そういう表現を知らない技術者(のたまご)が、いま、日本の自動車を開発している可能性が、実は一番高いと思います。
キッザニア効果。
効果はあったのでしょうか。それは入場者数だけのためだったのでしょうか。他に目的があったのでしょう。で、その効果はアンケートで確かめられたのでしょうか。未来のユーザーや技術者を獲得できたでしょうか。ひょっとして、マイナス効果ではありませんでしたか。そんなことはないでしょう。そうですか、科学的に検証されたのなら大丈夫ですね。それともこれもまたKNKSなのでしょうか。
寝た子を起こすな。面倒を起こすな。
 
明治初頭まで飛脚が活躍した日本と、郵便制度導入時の変革のように、馬車というまがりなりにも車両を使ってきた文化の差。その差は、日本の工業技術同様に、現在においても、西欧に追いつくことがなかったもののひとつなのかもしれません。
別に日本には日本の文化があるのだから、それを大切にすれば良いという意見もあるかもしれません。
# 非常に非科学的とは思いますが。。。
しかし、本来、自動車は西欧の文化に基づく工業製品です。電気自動車に替わっても、航続距離にこだわる日本と、加速度にはこだわる西欧(いえ、そんな現状は明確には確認していません)。人口減少の日本と人口爆発(一部推定)の世界。拡大する市場を横目に、日本的自動車を欧米他で販売できるのか。これは、西欧文化諸国から見れば、最近の日本の韓国バッシングの対象にされている事項と発想の基盤は同じと思います。
# とはいえ、マッスルカーではなく、安価な程よいパフォーマンスカーとして、ホンダ、日産、三菱などがランクインしてたりします。
電気自動車は、その部品数と機構の技術的簡素化により、本来、自動車の最低価格を引き下げるものです。
# エンジンとモーターの基本特性を比較すれば、機械系エンジニアを目指す学生さんなら、どれだけ技術が簡素化されるか想像がつくでしょう。
その結果、自動車所有の普及が一気に進み、より低価格が実現する可能性のある商品です。しかし、同時期に自動運転技術の導入が行われました。その結果、セダンタイプの自動車の価格は、実感価格で 1.5 〜2倍以上に跳ね上がっています。日本固有の軽自動車でさえ、200万円近い商品が増えています。しかも、耐用年数が短くなったであろう電気自動車が、です。
冷静に考えて、一般日本国民の大多数が、自動車の所有がかなり非経済的だと感じているのではないのか、と思わないのでしょうか。これもまた、KNKSです。
ガラパゴス的軽自動車の価格上昇はなぜでしょうか。ひょっとすると技術者のレベル低下に伴う、生産性低下によるコストアップなのではないでしょうか。公にはされることはないでしょうが、開発コストの増大要因はそこではないですか。
# 一部電気製品と同様に、故障時には、そろそろ新車と交換したほうが経済的ではないですか。
海外の超低価格車は、日本のレベルの高い安全基準を盾に、間接的には、安全性が日本車より悪いという心象操作により、国家による産業界への忖度で輸入を完璧に阻止し、結果的に、日本固有の軽自動車は、低生産性が故に価格上昇が発生している可能性は無いのでしょうか。
頼み綱の国内における自動車購入。その動機は自動車の必要性のトレードオフ。

時間を買う。

人身、物損事故や交通違反のリスクを買う。

 前者は上述のように費用対効果において既に危うく、後者を解決するはずの自動運転の責任は変化しないどころかオーナー、運転者にとってより厳しくなる。タクシーの方が総合的に経済的で安全ではないですか?
頼みの綱の日本国内で自動車産業を支える、ユーザーも技術者も法的環境も、減少厳罰こそすれど増加緩和する要因はこれを見るだけでも厳しそうです。レンタルやシェアで販売台数を維持しても、それは一時しのぎでしかありません。堅固と思われる運送業においても、今の自動車とはかなり違う自動運転ビークルがとって代わるでしょう。
日本の自動車製造業に未来はあるのか。
EV車普及を欧州メーカーに遅れて宣言した日本車メーカー。今季の東京モーターショーの目標入場者数大幅改善の成果には、まさしく間口を広げた会場分散効果もあったでしょうが、かなり深刻な日本の闇を垣間見たような気がしました。
王様は本当に新しい服を着ていたのか?

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