機械工学
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ウサギレースと創造性
前期の広義期間もまもなく終了し、試験採点結果を用いた成績報告の期限が近づいてきました。本課程の機械工学実験レポートの提出に追われる学生さんも一部に入るかもしれませんが、提出されるレポートに、何が言いたいのかよくわからない構成、文章のものは相変わらず多く見られます。
そもそも、大学などの教育機関におけるレポートは、自分が何を理解したかを示すためのエビデンス(証拠)、プレゼンテーション(報告)資料です。支持されたことを少しは書いたので条件達成、と、提出者の判断で完了する趣旨のモノではないように思います。
企業に入った後のレポートは、もはや現在および後世の会社のために、有用な情報を短時間でわかりやすくつたえ、また、その内容の根拠や信憑性が伝わり、万が一の場合にも追跡可能な科学的で論理的な資料です。
そういうことを第一回目の授業で説明はするのですが、シナリオも破綻し、そもそも指導書に書いてある目的だけを書き写して、考察とは内容が一致しないようなレポートが結構多く提出されます。
また、至上目標である単位取得を目指して、提出レポートに関する質疑応答や指導を得る機会には、概ね半数以上が関心を示しません。
効率ってこういうことを言うんですよね。
ウサギレースのウサギを、広い原っぱで走らせると、多分レースには成りません。レースとして成立させるためには、狭い通路に放って、後ろから追い立てることが必要で、決まった通路を走り抜けることで効率的にレース参加可能なウサギが増える、歩留まりを向上できるからです。どんなウサギも参戦できます。
効率化ってこういうことを言うんですよね。
もしこのウサギを評価するとき、全く同じ環境で速いか遅いかを判断する場合には問題はありませんが、異なった形式のレース、たとえば広い原っぱで目標を目指すレースに参加させる場合、決められた通路を走る、そんなレースの結果は参考には成りません。
そのウサギに目標を目指す能力かがあるかどうか、その能力を体得できるかどうかをできるだけ深く判断するためには、いきなり何の制限もない原っぱで試験をするのではなく、当然通路のレース結果でもなく、あらかじめ広っぱで訓練しておき、その才能の片鱗を開花させておく必要があります。
学生さんにかかわらず、人にかかわらず。
子供に、何か決まったことができるように教育、育成することは大切です。日本では、そういう教育に特化しているように思います。少なくとも、公の学校教育では、少人数教師による集団(マスプロ: mas-production)教育が方針で、型にはまった人しか対象にできないため、型外れな人は問題児と位置づけられます。
効率ってこういうことを言うんですよね。
一方で、自由な発想を元にそれを発展させる試行の育成は、独創性を育むために、今の時代もっとも効果的な能力です。しかし、そういう教育は日本では基本的には行っていません。たまに、そういうことを認識している個家庭の両親が、自分たちの子供に実施している程度です。最近は、欧米並みの発想を持ったごく一部の企業で、そういう間強、評価を行っていることが、”物珍しい”という理由でマスコミで取り上げられたりしています。基本的には、公の学校でも、ワンオペに苦しむ家庭教育でも、優秀な人材を求める企業でも、そういう感興を構築し育成する活動は行われていないようです。
冒頭でも登場したように、本課程では、これまで文科省に対して、創造的教育科目、として報告され、機械工学を学ぶ科目の中核にあると表向きには宣伝されている科目、機械工学実験があります。
その指導書を見てみると、定められた実験手順にしたがって実験を行い、指導書に記された実験目的、方法の説明のあと、考察ではなく、与えた課題を調査することがレポート作成の手順になっているテーマがほぼすべてです。前述の、公の教育機関としての使命を全うしています。
効率ってこういうことを言うんですよね。
本課程を卒業、終了した学生さんたちは、社会に出て、初めて世界の広さを知るのでしょうか。社会に出ても、やはり、規定されたレールを走るだけで、大企業が高給を支払い続けてくれるのでしょうか。# いいな、、、
常に上流は下流に仕事を押しつけるものですよね。
本研究室の指導に当たった学生さんは、幸か不幸かはわかりませんが、本テーマ一回目の説明を踏まえて、レポートの作成を行ってください。