機械工学
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ニッポンの隠れた憂鬱〜世間の常識から逸脱した私的観点
世界の中でニッポンは優れていたのか?優れているのか?
さて、間も無く東京オリンピックがリバイバルです。そして、その5年後、大阪万博もまた、リバイバルです。
リバイバル — 復活、再現させるということは、一般的には当初、人気があったり、成功したりしたものを、再提供、再利用するもので、基本的には失敗しない鉄板ものです。
しかし、世の中には必ずしもそうはいかないリバイバルも多くあります。
それはなぜなのでしょうか。
はじめての大阪万博は、日本がアメリカに追いつけ、追い越せ、と、努力していた時代に開催されました。ただし、それがその後、達成できたかどうかは別です。果たして現在において追い抜けたのでしょうか。アメリカの原動力は日本とは質が異なるものです。それらはまた別の機会に。
代名詞のような数字になった1970年。それほど大阪万博は関西では一大イベントになりました。
1970年の時代背景。
それは世界で戦争が常態化する時代で、朝鮮戦争が終わり、もう1つの南北戦争であるベトナム戦争の最中でした。大阪空港にも、海外から万博に来る観光客や関係者たちと一緒に、北爆に向かうB-52が離着陸していました。国内では、朝鮮戦争で得た資金をもとに、飛躍的な発展を目指す準備を済ませた一部企業は、小さな会社から大企業への一歩を踏み出していました。戦後の占領の影響か、日本人にはアメリカの影響が大きく、欧州にあまり関心が持てなかったようです。
長い歴史で社会と一緒に成長したドイツの工業製品と、同じく歴史と文化の上に成り立つフランスの香水やファッション、イタリアのデザイン、などは、そのブランド力に憧れていて、例えば万博会場のフランス館等にはそういう商品が、今の百貨店の化粧品フロアのように華やかに多量に並んでいました。
この日本人の深層にある本音が今でもあまり変わっていないということは、2回目のオリンピックでも中央会場である新国立競技場のデザインが、予算の問題がなければ、やっぱり欧州産であったことでもうかがえます。
当時、日本への来訪者まだまだは少なく、社会も今では想像できないくらい綺麗でなかった時代です。まだまだ未舗装道路が多く、コンクリート舗装が主要で、しかもそれは幹線道路だけでした。実際、国交省の資料を調べれば、十分に舗装道路が地方まで行き届いたのは、21世紀も間近になってからです。簡易舗装までを含めた舗装率は、1970年では15%、1980年に80%を超えたあとは2010年頃に90%を超えて、伸びは低下していますが少しずつ上昇しています。
そんな50年前の日本は、アジア諸国の現状と比較すれば、ほんの2、30年の差、とも言えます。当時のニッポンの主要輸出品は繊維関係で、10年前の中国、韓国と日本の関係とそっくりです。そんな国の工業製品をわざわざ購入する欧米の人はいませんでした。
1964年の一回目の東京オリンピックに合わせて作った、新幹線、高速道路や国産プロペラ旅客機機は、そんなニッポンの国家プロジェクトによる精一杯の世界へのアピールでした。もちろん、技術力は向上していますが、オリジナル要素は非常に少なく、今の韓国、北朝鮮、中国などの一部商品となんら大差なく、イメージが重なりそうですが、当時の日本に比べれば比較しようもないほどに優れています。
1970年万博当時の日本の状況が想像できたでしょうか。
現在では、ニッポンの代表産業とされる自動車産業は、世界に進出しているものの、燃費(これも試験方法に疑念がもたれています)と故障率の低さは定評がありますが、車としての評価(人気)は必ずしも高いわけではありません。それは、スポーツや産業等、各業界の成功者が所有している車種を調べればよくわかります。
航空機も、特に高い技術力が求められる軍用機も、ようやくスペック上はトップクラスに並べそうな技術を取得しかけていますが、その基本的なアイデアは自前ではなく、ようやく仕様策定、設計から国産化できるようになったところ、というのが実態のようです。特許期限の切れた技術が頼りなのかもしれません。
世界に輸出している一般鉄道車両も、欧州ではシェア的にはまだまだシーメンスには肩を並べられず、国内で取り分け取り上げられて報道されている内容から受ける印象ほどは健闘できていません。
とはいえ、一部分野ではFUNAI(本社大阪市)のように目立たないけれどもOEMで実は世界シェアがすごい国際的な会社もあります。
現時点では、特に機械工学の範囲では、ベアリングや工作機械などの精密機械が強く、完成品の人気は日本国内の印象ほどはないようです。他分野でも、生真面目に精度や純度のようにとことん突き詰める製品、化学薬品や食料、半導体や電気部品の人気はあり、とても世界シェアが高い会社も多いようです。もちろん、政治的な影響も受ける製品もありますが、民生品に限っても、部品は検討していますが、必ずしも完成品では、日本製品が、実は世界トップクラスというわけではないことは、少し調べればわかります。
世界で有名なビルの受注や、国家プロジェクトの鉄道建設、潜水艦の販売、ジェット機の開発、などなど。仮に技術力があっても、即決で他国から受注できるほどではないところが、ニッポン製品の現状の総合評価ということなのでしょう。
そんな国の2回目のオリンピック、2回目の国際万博。
50年以上の時を経て、取りまく状況は大きく変化しています。
そこそこすでに知名度を手に入れたニッポンの企業にとって、これらのビッグイベントに何を課すことができるでしょうか。
スポーツの祭典は万博に比べればテーマはシンプルです。リバイバル、というよりも、どちらかといえば世界的シリーズイベントの開催です。このシリーズイベントでは、開催のための公共投資などによる経費の膨張が問題となっていて、
本部でチェックされているものの、計画背能力の低さゆえ、ついつい大盤振る舞いする兆候の強い日本の行政下では、少し不安です。もっとも、活躍する日本人が多様な種目で増えていることは、リバイバル企画の観点からは大きなプラス要素です。
他方、万国博覧会。観光立国に舵を切った政府の方針であれば、以前の時代背景における万博のような工学メーカー主体の科学万博は、一部を除いたメーカー各社にとっては負担でしかないかもしれません。観光をターゲットにするならば、ここ数年、政府が投資してきたメディアやキャラクターを前面に出した、ソフトウェアメーカー、ソフトウェア企業が中心にならざるを得ないようにも思えます。しかしその業界ですら、すでに技術やノウハウの海外流出をし続けて、最近では輸入品が増えています。これら産業界で、もはやコンテンツの創出が滞り始めた状況での万博開催は、一部ジャンルを除いては、厳しく負担課題かもしれません。国産パビリオンよりも、近隣諸国の企業や企業グループに出展依頼する必要性が高いかもしれません。日本を取り巻く厳しさを増す国際環境の中ですが、それでも現代風の、人と人との繋がりをテーマにするしかなさそうにも思えます。
日本では、1950年代半ば頃から大阪万博後まで続いた日本の高度経済成長以降の第二次産業重視の工業国家化、21世紀になって急成長し機械産業と肩を並べたコンテンツビジネス、同じく今の日本経済、開催地経済の一翼を担う観光ビジネス、そして急に最近、政府が強化の声を上げ始めたAI技術者による産業。特に最後のジャンルは耳障りは良いですが、一つ間違えれば、プログラマーや介護士のように、一部トップクラスの人を除いては、職にはあぶれないけれども良い職ではない、という労働者を増やしかねないかもしれません。今回の万博を支える可能性を持った産業は、これらのうち、成熟した産業分野よりも、最も勢いのある分野が最適かもしれません。
さて、産業の技術は、後発企業にとっては、よっぽどのアイデアや既得技術がない限りは技術供与や特許使用を含めて模倣が基本、スタート地点です。たいていの勉強は過去から学ぶものです。でも、それだけではダメで、細かな改善もまた革新。新しい技術は発想が大切。しかしながら画期的な製品はそうそうあるものでもありません。だからといって、発想を諦めれば改善もできなくなります。ただし、発想は、広範な知識の上に成り立つものと思います。常に何かを考え、誰からも意見を聞き参考にし、それが形になっていく。そんな上司のいる組織こそ、優秀な人の住処、のような気がします。
産業の技術は技術模倣が当たり前。自己の地位の保全を考えるのが人として仕方ない、前例を変えるならそのリスクは誰が持つんだ。重要な判断は責任ある役員が決めることで下から意見を言うものではない。優秀な管理職は上の命令を理解し、下にさせること。部下は意見を言う必要はない。アイデアは出さずに下には指示は出す、上には決して意見は言わない、反論になることは言わない。それが組織というものだ。
なんて考えるような上司なら、きっとトップも同じ思想なのでしょう。その組織は停滞し、もはや改善の見込みがないか、改善は外乱に頼るしかありませんので、先がありません。そしてそんな考えが今、日本中に広がっているからこそ、不正や不適正が企業にまで広がっています。国家のリーダーが範を示し、日本を代表するトップクラスの大学の出身者が、それを容認し、実践しています。
NHKの人気司会者であるチコちゃんがいつも理由について問いただすような、日本では理由や根拠を適度に説明して指示する人は極めて少数です。説明を求めるとなぜ指示者は不快な顔をするのでしょうか。それはなぜなのでしょうか、日本文化の何を表しているのでしょうか。
縁故や隷従、権力でことを成すことが蔑まれる社会を目指して、ニッポン企業にこだわらず、能力ある人材になって、例えば欧州の倫理観の高い企業を見つけてください。日本国内にそういう企業がなければ、、、、です。日本人は、海外で活躍してくれる日本人をとても誇りに思ってくれますから。
さて、根拠を理解せず作業を進めるのはもはや科学ではなくオカルトです。アーサーC クラークがSci-F i作家で、スティーブンキングがオカルトミステリー作家なのは、なぜか。もっとも、Sci-Fi は、オカルトやミステリー、ファンタジーと相性、反応性が高く、融合しやすいことが中核を拡散させてしまうので、オカルトがSci-Fiではないというと問題が難しくなります。機械工学と同様に、非常に本質を維持しにくい代表ジャンルの一つですが。。。
しかし、報道やネット情報までが、アジア諸国に君臨する優秀な日本を誉れ、誇り、伝えています。それらは、ここの記事で記述している様々な危惧は、やっぱり妄想でしかないということを示しているようです。だから上述のようなそんな心配はせずとも、日本は未来にわたって安泰。年金も100年安心だし、経済政策も大成功し、選択的かもしれないけど統計的にも給与水準も上昇し、失業率も低下している。統計指標が正しく利用されバラ色の日本社会を示しているようです。
にもかかわらず、それを信じないという奇人、変人、変態な人がもしもいるのなら。
生計を立てるために知識を身につけ、ようやく間も無く無償になるかもしれない高等教育に多くの資金を投入し、身につけた合理的な科学を利用して収入を得ようとするのならば、それを論理的に評価できる上司と巡り会える確率が格段に高く、なおかつ科学を高く評価できる社会を持った、欧米、とりわけ、ドイツ、フランス周辺諸国の企業への就職がオススメです。世界に貢献できる技術者になりたいと唱えるみなさんには、それが手堅く手軽で、確度の高い選択です。
ーー科学よりもオカルトが支配する日本。
科学と魔術が交差する、とまではいかないまでも、日本文化は結局古来からミステリーで、日本国民は刹那的、突発的感情で、欧米社会からは住む社会ではないように思われているそうです。観光立国のテーマのように、このように言われる日がこないことを祈ります。