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満足しきった技術者は技術者たり得るのか

技術者のモチベーションはなんなのでしょうか。

そのメカニズムが未解明なので、高等教育、とりわけ技術者教育は、時代の変化に伴う、若い世代についていけていないのではないのではないでしょうか。

現代の、将来を担う世代である学生さんと話をすると、ひょんなことから貴重な事実を学ぶことがままあります。なかなか文章にして伝えてしまうと、いろいろ問題のあることもたくさんあり、倉庫に眠ってしまっているものがたくさんたまってきていますが、その中から多少は許容されるかもしれないものをチョイスして、一つ。

先日、講義の中での出来事。機械系に限りませんが、技術者つぃて何をするのか、どういう仕事をするのか、というような話題になり、技術屋には物欲が必要だ、という話が出たときです。出席していた学生さんのほとんどが、現在不満に思っていることはない、十分満足している、特にほしいものはない。そう言い切るのです。

世間では、”技術者の”素養”だとか、”技術者に求められること”だとかいろんな文書が書かれていますが、最先端の時代はそんなレベルをはるかに凌駕しているんだ、と思いました。

学生さんたちによれば、今ある機械やデバイス、ゲームなどでしょうが、特に不満がなく、十分に満足している、というのです。きっと、交通やネットワークなんかについても、現在のところ満足しているようです。

たしかに、日本の技術者にありがちな特性の結果、「ガラパゴス化」なんていう言葉も一時流行したように、我が道を突っ走るような技術探求ばかりしている状況に対しては、このような考えは重要だともいます。ただ、技術者を目指す人の平常が、満足しきった環境であることには、個人的に疑問や不安を感じました。

まず、技術の時代を先導していく人材候補者が、満足している状況とはどういう状況なんでしょうか。きっと、現代の技術レベルを使いこなせていないのではないのでしょうか。使用方法や求めるスペックが、現代技術のスペックに対して届いていないのでしょう。すべての機械に対して満足しているのだから、どのジャンルに対しても執着がわきません。将来どういう仕事に就くのか、という質問に対する答えが何となくあいまいで、答えが返ってきたとしても、給料がよくて、プライベートな時間が確保できて、安定した大企業、となるわけです。あるいは、ゆとりを持った生活をしているので、社会に貢献できるような仕事がしたい、となるのです。「□□について○○を△△したい!」なんていう具体的な考えは当然生まれそうにありません。つまりは、専門家意識が希薄、単なる一般ユーザー、街角インタビューを受けた一般人、の意識なのです。

現状に満足している人は、問題を抱えず非常にストレスを感じないので、精神衛生的には、よい人生を送ることができるでしょう。しかし、満足している環境は、おそらく新たな知識の探求など、好奇心があまり育たないように思います。当然、得る知識、たとえそれがかなり省略されてしまった現在の大学カリキュラムの内容ですら、理解し、解答することはでいるけれども、はてさて、それが何の役に立つのだろう、という疑問を持ち続けていくことになるようです。

この発端は、学部四年生の科目でしたが、奇しくもその前の大学院一年生に対する授業で、いろいろなことを勉強しているが、現実に役に立つのかいまだわからない、という意見がありました。その理由が、この四回生提供の科目の出来事で一つにつながったように思いました。

数年前の学部一年生に対して行ったアンケート結果から、機械系入学の学生さんたちの多くが、もはやエンジニア志望でないにもかかわらず、自分の夢が工学部でかなうと勘違いしている、という兆候を知ったのですが、その結果がこういう形で現れるのか、とある意味感動しました。

前述の資質や要件なんかではなく、世間で言われるミスマッチまでも行かず、その前のモチベーションに大きな齟齬が生じているようです

こういう学生さんをどんどん排出し、大企業もまたこういう人材をどんどん採用して、そして日本の「ものづくり(揶揄的な表現です)」は進化していくのだな、と思った出来事でした。

 

え、それでも優秀な技術者になるんだよ、ですか。
もうしわけありません、そうなんですか、、、、

 

古き良きエンジニア志望者が研究室に来ないかなぁ。。。。。。