雑感

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商用オフザシェルフと企業と教育研究機関 〜 理科教育および工学教育におけるCOTSの影響

最近のプロジェクトでは、開発に対する期間短縮とコスト削減のために、サードパーティー(外部利用)の活用:商用オフザシェルフ(commercial off-the-shelf、COTS、コォッツ、市販の既製品)が(コンセプトとして)浸透しています注1。たしかに、全くのゼロから物事を全て立ち上げるには、時間やコストが大きくなりすぎます。また一方で、COTSの割合があまりにも大きくなりすぎると、市販品でできることがプロジェクトの限界を律速してしまいます。

プロジェクトにおいて、市販品、既存品で対応できない部分は、先進であり、オリジナルとなります。そのようなプロジェクトは大きなプレゼンス(存在感)を示すはずです。サードパーティー利用でも、その導入部分もまた高い先進性があり、世間に展開できていないものを取り込めば、たとえサードパーティー利用であっても、プロジェクトは先進のものになります。つまり、進歩的なプロジェクトであるということは、利用しているパーツが先進のものである割合も重要ということです。

一方、量産部品を利用する、量産完成品を利用する場合、先進性は後退していくと考えられますが、利用する技術が部品と完成品では、その適用範囲や置換性などの制約に大きな差異が生じると思います。前者であるほど、新たなものが生まれやすいと考えられます。仮に全てが市販既製品で構成された場合には、そのプロジェクトのアイデア(組み合わせや利用方法)そのものが先進性や独自性を全て担うことになります。

個人的には、話題性の高い情報関係の技術の応用分野、IoTなどは既存通信技術に順次実存のものを加えていっていることから、また、電気自動車や、自動運転技術についても既存の自動運搬機械やターゲットドローンなどの先例があることから、割合に大小の差はあれど、後者に近いものと思います。もっとも、現代では純粋な自主独自開発はそうそう存在し得ないのでしょう。超大国も日本も、先例を参考にして純国産開発と謳うことは今でもよくある話です。

太古の機械工学の範囲(機械工学の範囲は広く、ほぼ全ての領域に渡りますが)では、現実実験研究では、当時の技術そのものが高度、複雑ではなく、COTSのかけらもありませんでした。流体工学分野で例示すれば、実験模型をゼロから内作し、せいぜい送風機や圧縮機、ポンプなどのような加圧装置や、実験装置までの配管部品は規格市販品を使用したものの、装置自身は銅管などを工作、配管し、計測装置ですら水や水銀マノメーターを自作する、という感じです。もちろん機械要素も市販規格品も多く使用しますがオリジナル部品もあります。現代では考えられない自主開発率です。たとえば本学の低速風洞のように、基本設計を自分でやってしまえる時代は、もはや規制が染み渡った現代からみると、絶対にありえない古き良き時代です。

現代では、計測装置は電気化を経て電子情報化され、それらの操作も人間ではなくコンピューター上のソフトウエアが支配しています。さらに、実験装置自体の多くが情報化された仮装装置となり、デスクトップで実験ができるようになりました。すべてを研究機関の一研究者が担うには広大過ぎます。

たとえば流体工学分野では、数値風洞のように、三次元モデリングソフトで作成された実験模型を、数値計算ソフトを用いてコンピューター上でシミュレーションし、流れ場を数値として得、それらをポスト処理するアプリケーションで速度場や空力を計算し視覚化します。

たとえば現実実験においても、高度にCOTS導入をした場合には、市販実験設備で、市販計測装置を用い、外注製作実験モデルを使って、市販計測ソフトで計測、市販ソフトで可視化します。この場合、一定のコストはかかりますが、非常に効率化されたプロジェクトの遂行が可能になります。予測可能で低リスクなプロジェクトが実現できます。企業経営や研究機関における公的外部資金執行にはこのような完遂性の高いマネジメントは重要でよろこばれます。

このような状況で、COTSにそぐわない独自性を出すとすれば、個々のソフトウェアや設備、装置に、独自の技術を追加、置換させていく、という作業になると思います。そのぶん、プロジェクト遂行には不確定性が増していきます。でも、そこが機械系技術者の本懐のようには思うのですが、技術が複雑化した現代において、固有装置はデーターで示したとしても各人の判断で評価されにくく、信頼性を疑われるなど、現代社会では必ずしも歓迎されていないのも実情です。

したがって、企業でも研究機関でも、COTSをどのように導入するかどうかは持続性や競争力の将来性に少なからず影響を与えると思います。COTSの概念が一般的でない時代には、独自技術が企業体の競争力と考えられて、研究開発費用の確保が重要だったように思います。ただ、社会背景、技術の進歩の中で、その経費の効率化を考えれば、既存技術で対応可能なものは積極的に利用して効果を高めようとしたことが、COTSという思想として確立していった背景と思います。この背景の”技術進歩”が実は現在の機械工学の問題だったように感じます。

上述の話では、技術のCOTSであったように受け止められたかもしれませんが、結局は、機械工学の範囲(機械工学の範囲は広く、ほぼ全ての領域に渡りますが :-))では、実は人材のCOTSを実施していたに他ならないということです。非正規雇用問題も元をたどれば同じ問題です。この問題は、すでに顕在化し、指摘されているようですが、主体から見えなくなった部分はどんどんブラックボックス化し、もともと知識のなかったその部分に対する関心が薄れ、それらに対する革新を求められなくなってしまします。さらに日本人の特性の時代変化によって、貪欲に知識を集積する人材が減り、わからないゆえにベンダーに不当な厳しい条件を要求し、中身はベンダー任せにする考えが浸透しているのかもしれません。もちろん、任されたベンダーの中にも、同じ問題が生じているかもしれません。また、同じ技術開発作業をしていても、開発費を増大しても、なぜ、欧米企業のように時間効率が改善しないのかは、すでに企業では知るところとなっているでしょう。つまり、日本では、開発予算を増加してもCOTS率削減につながるわけではない、あるいは、COTSを減らすと、コストが異常に上昇し経営効率低下が著しい結果になる、ということです。

太古の機械工学技術者のような挑戦と探求に熱心な技術者が溢れていればよかったのですが、このことが、人口減少の中でより高い教育を受けた大学、短大、専修学校卒業生数がこの20年で実数増加し注2、正社員採用率と数が減少しているのにもかかわらず、企業採用担当者や企業現場の中で人材不足とささやかれていることと関係しているのかもしれません。

当然、同じことは高等教育機関でも生じています。本法人でも、適切な学力試験を経て入学した優秀な学生に対して、教員数削減もあって教員一人当たりの学生数が多くなっているので、一研究(すなわち一教員)に対しては大幅な人員増加をしているわけですから、研究成果が増産されるはずです。にもかかわらず、一部ではなにかが起こっているようです。

もともと太古の機械工学は、”四力”という言葉に代表されるように、非常にシンプルな基本領域を持っていたようにおもいます。しかし、時代とともに、技術は進歩し、対象とする範囲は技術の適用拡大とともに広がり、しかもそれらを、教育機関としての視点に対して”研究機関としての特性を配慮する”立場で制御なく時代時代に応じて包含、積極的に対応してきました。つまり、適切かどうかでなく、必要か、重要か、など存在意義で判断されてきました。範囲の広がりに応じて研究を存在意義により判断すれば、当然、研究領域も増大するため、元の分野を維持するためには人員の増加が必要となるはずです。しかし現実は人員は削減され、離散偏在的に範囲が広がっています。同様に、プロジェクトはCOTS導入が進み、研究そのものはそれぞれオリジナル性や先進性が確保されていても、教育体系が維持できているのかについては、正式に議論されたことはなさそうです。効率的な機械工学技術者の育成には、ある程度のプロシジャーがあって、太古の高等教育機関における機械工学の教育にはそれがどこかに含まれていて、うまく機能していたに違いありません。でも、そんな議論をした結果が、自分達の研究を妨げることになってはたまりませんん。万が一太古のような教育内容になれば、現代の最新研究の内容から乖離し手間隙が増える可能性もあります。業績を上げ、地位を確保し、外部資金を獲得し続け、さらに業績を生み続けることで持続性を保つためには、授業料収入の少ない国公立大学法人役員やその構成員はどういう判断をするでしょうか。吸血鬼を一弾で撃ちたおす”silver bullet”とまで比喩されたCOTSは、迅速な成果を求められる高等教育機関にとっては麻薬のような魅力があるのかもしれません。使途が研究に限られている外部資金と使途が自由な授業料収入の、運営予算上での構成比率の差が、私立大学の個性を育み、その成否によってさらに入試倍率、設備、教育、給与、人材、教育風土、文化などさまざまな特徴を生じているのかもしれません。清風払明月、明月払清風。社会の未来を支えるべき学研の世界で、教育と研究は今の時代、こんな関係になれるのでしょうか。

結果、機械系技術者に必要な能力がどのように学生に伝えられているのかの実態は、とりまくいろんな環境とCOTSの問題点を思えば、社会のパワーゲームの中でなるほどと落ち着くところにあるように思えます。企業が新卒求職者を個別にしっかりみるようになった背景もこんな実態があるとすれば、当然の帰結です。もし団体としての教育機関のランク付け(品定め)をするのであれば、課程(学科)ごとのシラバス(カリキュラムの授業計画)よりも、オーソドックスな実験、実習の公開されている指導書を見るのがわかりやすいかもしれません。受験産業において、高校は進学先大学などでの評価もあるのに、大学はほぼ受験難易度だけで評価されているのは、就職が受験産業の対象事業でないからなのでしょうか。

さて、COTSが拡大すると、導入機器仕様を理解し計画するマネジメントの能力が重要になります。もちろんマネジメント能力は重要です。企業においても研究機関においても、コストや効率は重要で、COTSの活用は重要な解決手段だと認知されていると思います。

気になるのは、機械系技術者にマネジメント能力はあるに越したことはないけれども、きちんとした企業体においては、技術者にはマネジメント感覚で十分で、本来はマネジメントは専門家が司る。機械系技術者教育について、マネジメント作業の割合が高い教育機関が適切な機械系技術者教育機関かどうかではないのか、ということで、それを結構思ってしまいます。

いずれにせよ、高等教育研究機関でこれらの問題が認識され、真摯に議論され始めるのは、まだ、20年以上後のことでしょう。だから、大学で学ぶ諸君は、できるだけ早く自分の所属する大学、組織を分析し、順応して、自分のスキルアップに努めてください。

注1) ここで言うCOTS は、元祖の使用方法から派生してその概念を利用して使用されているCOTSで、本記事では、特殊仕様が求められる軍用機器を、同様な研究機器に置き換えた Reseach-COTS や R&D-COTS としてイメージしてください。

注2) 参考

1970年頃の第二次ベビーブームから1995〜2005年の横ばい期までの期間で、新生児人口40%減少、その後の現在までの15年間で横ばい期からさらに30%減を超えて減少中。現在、大学受験者は横ばい期の末期世代にあたるので、今後、受験者数がとりあえず15年かけて30%減少する可能性があるので、入学基準を低下させたり授業料を減免して志願者率を1.5倍にするのか、継続的に教員削減を実施して総定員縮小で対応し、経営効率確保のため時期を見て統廃合や吸収合併などが必須。国内の研究者絶対数は、大学が擁する限りは減少させざるを得ず、公的、民間の研究所の擁する研究者数を増やさない限りは国内研究者は減らさざるをえない。さらに人口急減中の日本において研究環境を維持するには、少数でより効率的な活動と競争力確保を実現のため、研究者数の少ない防災、航空宇宙、物質デバイス科学、IT情報、などのような継続が重要な分野の研究者は、地域中核病院制度と同様、全国規模での研究設備も含めた研究者の集約、集積も必要になるでしょう。産学一体となった研究所城下町のような地方地域も生まれるかもしれません。地域産業のために公立大学を、などというローカリズムは財政的にも成り立たなくなりそうです。研究活動の場の民間企業や公的研究機関への移行と研究補助金対象拡大、余剰若手研究者の海外進出や海外COTSが必須の時代が近づいています。その中でいかに高等教育機関再生を実現するのかも課題です。ただ、この状況になっても特に政策が聞かれていないということは、国策としての方向性がうかがえます。